写真は2013年3月31日にシンガポールSwissHotel 60階のクラブラウンジバルコニーから撮ったものです。
この後、車で国境を越え、マレーシア、ジョホールバルへ行きそのまま約1年海外勤務につきました。
入社したのは日系の投資会社です。
そこの法務担当として採用していただいたのですが、実際はいろいろな業務を経験しました(業務についてはまた後日…)。
ジョホールバルまでの経過
なぜ40歳を過ぎて、初めての海外勤務、それもジョホールバルに行くことになったのか。
今にして思うといろいろな偶然や必然がありました。
- もともと海外旅行が好き
- 2012年6月に合同事務所に入ってから業務に海外投資、移住関連が増えていた
- 身近にASEAN進出サポートビジネスを立ち上げた人たちがいた
などの経過で、海外で働くことに抵抗がなくなっていて、
「むしろチャンスがあれば行ってみたい」
という気持ちでした。
その後はこんな流れでした。
- 2012年の11月、「ロングステイフェア」というイベントで社長と名刺交換したのをきっかけに会社のメルマガを購読
- 2013年の1月にKL(クアラルンプール)のMM2Hセンターに行った
- KLから帰って1週間後くらいに会社のメルマガに人材募集の記事が掲載され、それを見て応募
1月にKLに行ったのは、4日ほど予定が空いていて、
・思い立って旅行に行こうとしたらたまたまKL行のフライトが取れた
・KLのMM2Hセンターに行ったのは、当時MM2Hを申請中のお客様がいらした
そして、せっかくKLに行くならとけっこう行き当たりばったりの流れがありました。
そこに、メルマガの記事ですから「いけ~」となってしまったのは、バブル世代の血がそうさせたのか、今にして思えば「魔がさした」のかもしれません(笑)。
海外ベンチャー企業の面接
まずは、採用担当の副社長とSkypeで面接。
(Skypeはこのときが初体験でした)
次は社長面接です、とその場で言われて1~2週間経った頃、
社長がたまたま日本に来る機会があり私と名刺交換したことを覚えていてくれて
「MM2Hをやっているならマレーシア勤務でもいいですか?」
との一声で、ジョホールバルに行くことになりました。
(この会社にはマカオ、バンコクにもオフィスがありました)
周囲の反応
主人を日本に残しての単身赴任にはみなさん驚きましたが、彼は自分の身の回りのことはひととおりできるし、ウチは子供がいないので問題なし。
行政書士の業務も、まだ固定客がつかない身軽な状態だったので、1年間の海外勤務に支障はありませんでした。
合同事務所の所長をはじめ同僚も、行政書士の同期や先輩方も親戚から友人まで
「面白いので頑張れ~」
と応援してくれました。
ダメ元で応募した海外勤務が実現することになり、信じられないくらい話がとんとん拍子に進みました。
多少の逡巡はあったものの、女性の行政書士(それもアラフォー以上 笑)で海外企業に法務担当で勤務する人はあまりいないでしょうから、帰国後はユニークな存在になれるのではないか!という見込みと、採用決定した後に迷っている時間がなかったという現実から、
「もう行ってみるしかない!」
という状態で突っ走っていました。